耽羅文化祭

2007年度 第46回耽羅文化祭

投稿日:2007年10月5日 | カテゴリー:耽羅文化祭

道庁、道議会、教育庁、済州市庁を表敬訪問耽羅文化祭を参観、43名が参加

関西済州道民協会では第46回耽羅文化祭が開催されるのに伴い2007年10月5日~7日の日程で43名が故郷・済州を訪問した。

今年は<済州特別自治道>出帆一周年および済州火山島と溶岩洞窟がユネスコ世界自然遺産に登録されたのを記念しての訪問となった。

済州に到着した一行はラマダプラザ済州ホテルにチェックイン。昼食をすませた後、執行部役員10名は道庁、道議会、教育庁、済州市庁を表敬訪問した。

今年の耽羅文化祭は9月16日台風11号が済州を直撃し、甚大なる被害をもたらし開催が危ぶまれたが、政府・道の一致団結した力で復旧し無事開催された。

午後7時、タプトン広場の野外ステージで行われたオープニングセレモニーは圧巻であった。洗練されたリズミカルかつパワフルな太鼓のパフォーマンスに目を奪われ、その後に打ち上げられた花火はまるで復旧した済州を祝っているようだった。


道知事主催の晩餐会災害救援金の伝達

開会式場を後にした一行は道知事主催の晩餐会に出席した。会場では関西済州道民協会を代表し朴國男会長が台風災害救援金500万円を手渡したのをはじめ、晩餐会に参加していた在外道民団体からも救援金が手渡された。

二日目以降はゴルフを楽しむメンバーや、済州のシンボル漢拏山の登山と故郷での日々を過ごした。


第46回耽羅文化祭耽羅文化祭に参加して思うこと

済州道に長く住んで居られる高齢な方でも、この度の台風ほど大きな被害は経験したことがない。と、お話されるほどの大きな被害を受けた直後の耽羅文化祭へ参加すべく、私たちは済州道を訪問したのでありますが、私たちが持っていた危惧を他所に、野外ステージに於ける洗練されたリズミカルな太鼓の音色とのその後に打ち上げられた花火によるオープニングの力強さは、まさに今の済州道を象徴する活気あふれるもので、大きな感動を与える充分なパワーであった様に思います。

恒例のセレモニーが行われた後、これも恒例になっている場所を移しての知事による海外同胞を招待しての晩餐会が行われたのであります。その冒頭に知事の挨拶があり、その中で、必ずといって出てくる文言に、済州道が今あるのは在日同胞の力添えがあったればこそという感謝の言葉があります。

その言葉を聞くたびに在日として苦闘しながら生き抜いた私たちの親の姿を思い浮かべるのであります。しかし、今の済州道のイメージからは遠くはなれた生き様で、時代の流れとその速さを改めて考えさせられるのです。

本土とは明らかに異なる済州道の気候風土によって育まれた独特の庶民文化。それは身近な日常の仕草にも現れるもので、例えばオモニ達の赤ん坊を褒める時の仕草一つとってみても、普通『なんて優しそうな・・』や『なんて可愛い・・』と言ったような直接的な褒め言葉を郷土済州道のオモニ達はあまり使わず、指で赤ん坊のホッペを突きながら「アイゴー、イ、トンセギ」とやるのです。それでいてオモニの表情と全身から出てくる温もりが、赤ん坊の愛くるしさを十二分に表現して止まない。これが済州道の人たちが持っていた人情であり、庶民文化の香りではなかったかと思います。

ホテルの壁に掛けてあった絵に、寒風にさらされながらも頭からスッポリとショールを被り、寒さもなんのその、身を震わせながらも立ち話に興じている婦人達の強かな姿が描かれていました。こんな光景ももう絵の中でしか見られなくなってしまったようです。

(文・関西済州道民協会 高英寛 総務副会長)


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